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戦後経済史:日本の戦争賠償支払いと1964年東京五輪開催

敗戦後の日本が、復興を世界に力強く示すことができたと自負しているのは、1964年の東京五輪の開催でした。世界に敗れて焼け跡からスタートした日本がなぜ五輪にこぎつけたのか、そこには戦後の日本の発展につながるビジネスモデルが国家戦略としてありました。(からしだねプレス=田中隆志)

日本経済誌において、1964年の東京五輪が果たした役割はもちろん高度経済成長期の幕開けなのですが、ではなぜ戦後復興二十年で五輪を開催できたのでしょうか。

敗戦國となった日本は、旧宗主国として、アジア諸国を植民統治していた地域・国々に、莫大な戦争賠償債務を支払いました。それによって、国交を回復していき、その姿が国際社会において、戦後の新たな日本国を印象付けていったのです。

その戦争賠償には、相手国によってさまざまな付帯条件があるわけですが、総じて、賠償の全額支払いが金銭ベースだったわけではありません。ここがポイントなのです。
賠償債務支払いが終わって後年になると、ODA政府開発援助や円借款、無償資金供与などと名前を変えていきましたが、その原型は戦争賠償が原型になりました。
つまり、日本の戦争に巻き込まれた国々に金銭が支払われても、発展途上にある相手国では、それを自前の国家建設や社会整備に割り振るだけの、技能や組織や資材を持たないことがほとんどでした。そこで、日本から戦争賠償が支払われた国で、欧米より安くインフラ開発を受注すべく、日本からゼネコン、商社、電機・機械・重工業などのメーカーが、どんどん現地進出していきました。現地政府から受注落札して、その国の人々を低い賃金で雇用して、巨額の収益を日本の本社に送金しました。
戦争賠償が初めから金銭ではなく、現物給付(港湾整備、橋梁・道路・鉄道建設…ほか)の形とされ「ただし当事国もしくは日本企業に発注する」条件で、支払われることさえ少なくありませんでした。

ですから、日本にとって巨額の戦争賠償債務を(税金で集めた国庫金から)支払ったのは確かですし、それによって敗戦国責任を果たしたわけですが、それが民間企業の海外受注収益として、相当部分で日本社会に還流していたわけです。
経済史的に見れば、戦争賠償債務を支払ったからこそ、東京五輪を開催するだけの「富の蓄積」ができました。それが、昭和三十年代に日本が行なった資本増強なのです。

池田勇人が「所得倍増論」を、田中角栄が「日本列島改造論」を、それぞれ提唱して、好景気を招いたのは、それら蓄積された富を、国民生活に近い部分に振り向けるというメッセージと理解できます。
戦争賠償からの還流の富があったからこそ、突貫で東京五輪に間に合わせるだけの会場整備、東海道新幹線建設、首都高速道路の設置、テレビ受信機はじめ家電製品の普及などが日本全国に波及しました。
国内でモノやサービスが売れれば、企業収益は上がります。賃金が上がります。さらに購買意欲は上がります。戦前生まれの教育水準の高い人々が働き盛り世代であり、戦中・戦後世代の人々が、青年期を迎えてバラ色の希望を膨らませた頃、団塊の世代が次々と社会に出てくる豊かな労働人口、これらが爆発的に拡大するその導火線として、1964年の東京五輪が、華々しく開催されるタイミングに置かれました。

これらは、ごくオーソドックスな戦後経済史の見方でしょう。
ひるがえって、あと3年後の2020年の東京大会が、GDPやその伸び率、蓄積資本の国民生活への再配分にしても、労働人口にしても、まったく1964年とは異なった景況下にあることは、あえて述べるまでもないことです。さあ、あと二年余りで、この灰色の空はバラ色に塗り替わるでしょうか。
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