記事一覧

教会基礎:カトリックだけどローマ・カトリックではない!?~東方典礼カトリックを知っていますか

  カトリック教かいが21世紀の現代まで、教皇に代表される世界的なキリスト信徒のコミュニティ・ネットワークだ、という理解が、概ね社会通念であると言えよう。十二弟子たちのリーダーで、「神の民」を牧する羊飼いらの頭(かしら)だったペトロと、カトリック教会が自らその後継者であると考える「ペトロの座 the Holy See」に着席する教皇 the Popeの世話と導きを尊重している。
 もちろん、そのような継承性に疑問を抱く人や、継承性は認めても教皇の権能がキリスト信徒個人に影響を与えうるものではないと考える人もたくさんいる。(フリーメイソンやCIA陰謀論と教皇を結びつけるようなタブロイド紙的なネタは除く。根拠がないので検証しようがないからである。)
 それでも、カトリック教会の主流の組織統治においても、批判の対象とするプロテスタント諸教会の人々にとっても、ペトロの後継者を自認する教皇を代表とするキリスト信徒の集まりがカトリック教会であるという前提は共有されているはずなのである。

 
 では、「カトリック教会」と、「ローマ・カトリック教会」とは、同じなのか、違うのか。
 答えとしては、カトリック教会には、ローマ・カトリックでないカトリック教会も存在する。それは地域的に限局されているし、欧米に比べて世界の中で目立たないし、よって日本からはさらに縁遠いのであるが、いわゆるオリエント・カトリック教会=東方典礼のカトリック司教区=である。
 具体的には、エルサレム大司教と密接な連絡を持つベイルート教区のレバノンのカトリック教会、ダマスクス教区のシリアのカトリック教会、アルメニア、ウクライナ、などに、東方典礼カトリック教会が点在する。

 ちなみに、ほとんどカバーするエリアが重なっているのだけれども、オーソドックス教会(正教会)とは別に、東方典礼カトリックが続いているのである。
 オーソドックスは、ローマ帝国の東西分裂によって、東ローマ帝国の首都ビザンチン(コンスタンティノープル)に東ローマの教皇を樹立しようとして、初代から中世へと主流キリスト教会(ローマ・カトリック)とたもとをわかって、オーソドックスのキリスト教会はビザンチンにあり、と誕生したものである。
 カトリックが「聖なる普遍」にして「唯一公式の」という意味のラテン語であるから、不変唯一ローマ教会と、われこそは正当なる唯一の教会だとするオーソドックス教会…。いわば、本家と元祖ののれんをめぐる争いなのだが、これは政教分離のないローマ帝国の国教にキリスト教が定められていたのだから、人々にとっては、生活のかなりの部分を占める大事な事柄だったので、深刻だったはずである。


 正直、現代多くのローマ・カトリックの人たちでさえ、このローマ帝国の分裂に伴う教会の東西分裂を、西はローマ・カトリックに、東はオーソドックスに、離れ離れになってしまった。あるいはローマから分離独立して、ビザンチンにオーソドックス教会が建てられていった。そんなふうに理解しているのではないだろうか。
 ところが、確かにペトロが初代の教区長となったローマにおいて、皇帝の命でペトロは殉教し、ローマ郊外のヴァチカンの丘に葬られたわけだが、それゆえ、のちのローマ皇帝がキリスト教を国教に定めた時から「ペトロの座」教皇のイスがヴァチカンに置かれて教皇庁となって現在に至る。
 しかし、初代協会はローマだけでなく、エルサレムに、ダマスクスにコリントにアンティオキアにフィリピにガラテアにコロサイにアテネに、つまり地中海一帯に読字のコミュニティを形成してきたのであって、それらも順調に歩みを重ねて、地中海のニケアにおいて最初の世界教会会議(公会議)が開かれたのである。
 そこから、東ローマ帝国が、オーソドックス教会を樹立するまでに、盛んに地方色豊かな協会の儀典や礼拝が行われていたのであって、つまりオーソドックス教会のカバーエリアで、ローマの教皇とつながりを持つ分離しなかった教会=キリスト信徒が現前解いた。
 簡単に言えば、教会の東西分裂に巻き込まれることなく、東ローマ帝国の領内で、初代からのキリスト教会のありかたを現代まで続けているのが、東方典礼カトリックである。

 別の見方をすれば、ローマ皇帝はユーラシアと地中海の広大な領域を植民統治しており、帝都ローマから植民支配のすみずみまでラテン語で言語を統一し、キリスト教を国教とするのは、統治に不可欠な強化肢だったはずである。この皇帝の権力闘争で帝国が分裂するに至って、本家と元祖ができたわけだが、それはローマ・カトリックであれオーソドックスであれ、植民地側から見れば支配者から降ってきた抑圧的な宗教だったのではなかろうか。それを想うならば、オリエント・カトリック~東方典礼カトリック司教区~は植民支配に関係なく自らの信じるところに忠実に守られてきたローカリティ豊かなキリスト教会のような気がする。


 カトリックであるから、ローマでもオリエントでも、教理上の大きな差はない。しかし、教会会議を重ねるごとに決められていった教会法において、ラテン諸規定(Latin Code)とオリエント諸規定(Orient Code)がそれぞれに編まれていったため、微妙なズレが生じていて、同じカトリックでありながら、手順をいつもたがいに確認し合う必要がある。
 ローマ・ラテンとオリエント典礼、そしてオーソドックスの、違いよりも、このところ相互補完的なそれぞれの信徒へのサービスの改革が教皇庁から発せられているのが、実はなかなかに興味深いのである。

 まさに世界の耳目が集まるシリアは、オーソドックスとオリエント・カトリックのキリスト者が多い地域である。むろんムスリム人口は多いけれども、紛争で破壊された遺跡の多くは初期キリスト教会以来のオリエント・カトリックの建物だった。
 シリアやイエメンやイラクなどからの難民となったり移住のためにヨーロッパ社会に入る人々にとって、オリエント・カトリックから、ローマ・カトリックに移籍するのは、心理的にかなり大きな負担である。さらに、オーソドックスの人々は西ヨーロッパ各地でほとんどサービスを受けられる教会堂がない。
 こうした具体的問題を抱えて、一定の条件において、ラテン典礼で乳幼児の洗礼を授けても、両親のどちらも・いずれかが東方典礼のカトリックならば、その洗礼を受けた子供は東方典礼の洗礼台帳に記載することができる、とか、婚姻の秘蹟も東方典礼の信徒がラテン典礼で授かっても東方典礼で正式婚姻と認める、とか。いちばん感動したのは、オーソドックスの人々が、ラテン典礼カトリックにおいて受ける洗礼や婚姻を、オーソドックスの祭儀として有効である、とする教ローマ教皇とコンスタンティノープル総大主教との合意であろう。
 シリア紛争や難民となる人々の困苦を想えばのんきなことは言えないが、しかし地続きの大陸で太古から人類は移動と定住を繰り返し、憎しみを超えて最も小さな人々を守り励まそうとするならば、教会一致への道のりは閉ざされることがない。
ローマ・カトリックとオリエント・カトリックとオーソドックスの、複雑な状況に私は希望を見る。


(からしだねプレス=田中隆志)


 
関連記事
スポンサーサイト