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教会基礎/羊飼いたちの頭(かしら)~教皇と司教

 カトリック教会 Catholic Church とは何か。百万もの定義があるのだけれど、概ね、教皇を「神の民」である羊の群れを世話する牧者の頭(かしら)とする世界中に広がるキリスト信徒のコミュニティ、ネットワークと位置付けてよいだろう。キリスト・イエスは、その父なる神から遣わされて神の子でありながら人として生まれ、この世に善き知らせをもたらす旅の途上で十二人の弟子たちを招き、全人類の罪を贖(あがな)って旧約で父なる神が預言者を通して約束された「永遠の命」をえさせるための救いのわざを十字架の死を持って実現した。さらに、約束された通り、三日目に復活して、死に打ち勝ったことをこれら弟子たちの前に現れることで、彼らをゆるがぬキリストの証人として立たせ、彼らに信じるすべての人々の世話を託して天に昇られ、父と子の間にある愛そのものである聖なる霊をこの世に送り続けて、信じる人々の集まりを強め続けている。この集まり Ecclesia Dei; (ラテン語で「神のものである集まり」)をキリスト教会として建てられ、あるいはまたその集まりは Corpus Christi (ラテン語で「キリストの体」)にもたとえられる。
 イエスは十二弟子のうちのシモンを選び、信じる者たちのリーダーに任じて、Ecclesia Dei が「揺るがぬ堅い岩盤 petrus の上に建てられるのだからと洒落の召して、「シモンよ、今からおまえの名前は、ペトロにしよう」と名付けられた。
キリストの商店後に、十二弟子たちは善き知らせを告げ知らせるために、それぞれの得意分野・持ち分に応じて、各地へと散り散りに旅立っていく。パレスチナに残る者も致し、ローマ帝国の広大な地中海世界を旅する者もあり、西はイベリア半島(のちのスペイン)やエジプト~北アフリカ、チグリス・ユーフラテスから中央アジア、東はインド大陸まで、生涯を終えるまで弟子たちの旅は続いている。そして、彼らの行く先々に、地方ごとの Ecclesia Dei 信じる者の集まり=教会が育まれた。
 十二弟子は、キリスト過ぎ越しの生き証人であり、それぞれに芽生えた Ecclesia Dei キリストを信じる者の群れを大事に導く牧者になった。十二弟子たちは、たがいに羊飼いならではの励ましと善き知らせの再確認をし合う仲間であった。迫害を受ける弟子も致し、旅先で行き倒れる弟子もいたが、しかしそれでも彼らは、キリストとともに過ごしたかけがえのない愛弟子の一団であり続けた。

 これら、十二弟子は、それぞれの場所で、自ら亡き後の教会の世話をする牧者の後継者を指名した。その人々がいつも聖霊に満たされて牧者であり続けるように、しるしの油を額に塗って、十二弟子とその後継者からなる牧者の一団が可能な限り集まって、按手(頭に手掌を載せて聖霊の満たしを得られるように願う所作をして任命されるようになった。
 この初代協会時代の十二弟子とその後継者任命の典礼が、カトリック教かいにおいては、司教叙階式ミサである。カテドラ(地域を牧する代表だけが着席する司教座 Cathedra )が用意された大聖堂を Cathedral カテドラルと呼ぶのはそのためである。
 さて、十二弟子の中で、キリストは堅い岩盤と命名したリーダーを選んだ。ペトロである。教会は打たれ強く確かな礎にある、という組織神学的理解はもちろんなのだが、きっと弟子の中でもひときわ頑固で石頭だがみなに慕われる素質をイエスは親しくからかいもこめてペトロとニックネームを付けたのではないだろうか、というのは私の個人的所感である
 いずれにしても、ペトロはその命名にすら余りあるほど、迫害されても脅されてもついにはキリストを信じるがゆえにローマ皇帝に処刑されても、彼の信念はびくとも動かなかった。死を予見しつつ、それをもとにさらに世話すべき羊たちに励ましと促しの手紙を書き送る。
 ペトロの殉教は、当然ほかの弟子たちやその後継者にも伝えられた。ペトロが世話をした帝国の首都ローマにおいて、カテドラは次なる後継者に引き継がれた。それが現代まで続いて、第258第めのローマの司教が教皇フランシスコである。
 つまり、カトリック教会においては、十二弟子たちの後継者が司教たちなのであり、彼らのうちでリーダーとなるべき牧者は、ペトロの後継者であるローマの司教が「教父 Papa」。

(からしだねプレス=田中隆志)

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